〈青鞍の碑〉 利長が大切にして いた鞍を投げ入れ、 荒れ狂う川を鎮め たとされる。 |
現在の北楯頭首工
・名称:北楯大堰(きただておおぜき)
・施設の所在:山形県東田川郡庄内町清川地内ほか
・供用開始年:1612年
・かんがい面積(受益面積):2,880ha
・水路延長:4.9q(北楯頭首工〜二俣分水工)
・流域名:最上川水系立谷沢川
・所有者:農林水産省
・管理者:山形県
・操作者:最上川土地改良区
歓喜寺前の北楯大堰(現在)
整備された導水路(現在)
歓喜寺前の北楯大堰(改修前)
玉石積の導水路(改修前)
平成30年8月13日にカナダ・サスカトゥーンで開催された国際かんがい排水委員会(ICID)国際執行理事会において、『北楯大堰』を世界かんがい施設遺産として登録することが発表されました。
しかし、そんな困難な状況の中、暗夜には提灯の明かりをかかげて
高低差を測量する高精度の測量技術や正確で綿密な設計、そして1日
約7,400人もの作業員を動員するなどして、わずか4カ月の短期間で約
10qの水路を完成させました。
1600年頃まで、庄内平野に位置する本地域は、扇状地の平坦な
地形でありながら隣接する河川より高い位置にあったため、水利
用の悪い不毛の土地でした。
しかし、1601年に狩川城主に赴任した北館大学助利長(1548−※山形県内では初めての登録施設となります。
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詳しくはこちら 農林水産省「世界かんがい施設遺産
この広大な受益地内に計画的に用水を供給する役職を設置することに
より、地域の米収穫量は約7倍に増量し、稲作農家の安定した収入を確
保するだけでなく、農業を中心とした経済発展と農村形成に大きく貢献
しました。
用水供給の管理は当時の行政機関が行っていましたが、1885年からは
農家が負担する管理組織が設立され、現在は土地改良区として地域住民
と協同で適切な維持管理が行われています。
明治後期の北楯頭首工